(こちらは完全に妄想の物語です。
実在の人物や関係者とは全く関わりありません。)
紅白当日 4
年越しそばの味が…イマイチわからなかった。
出汁が薄すぎたのか…自分がそれどころじゃなかったのか…
あからさまに後者だよね…
でも少し気も紛れた。もうすぐ5時だ。
そろそろ着替えなくては。
わたしの着付けはめちゃくちゃ簡単だ。
冬用の着物用の肌着を着て。これまた冬用の(舞妓さん御用達らしい)ステテコを履く。
肌着の上から和装用の胸を潰すブラジャーを付け、そのまま長襦袢を着る。
無駄な補正はしない。襦袢の衿は胸の上を這うように置いて和装じめと呼ばれるゴムベルトで留める。
そのまま着物を羽織る。着物をから揚げして裾の位置が決まったらウエストベルトで留める。
衿合わせは鏡を見ながら。襦袢の衿がちゃんと見えるようにバランスを見ながら決める。
右の衿の下は左前の内側でたくしあげて和装じめでまた留める。そのまま背中を通し、反対側の衿を留める。その後に前板。
案外崩れないものです。伊達締めをしないと着崩れるのでは?と言われる事もあるけど。動くことが多いから無用に締めすぎると苦しいだけ。
どうせ帯を結ぶのでそんなに着崩れることは無い。
前結び用の前板を使っているのでお太鼓も基本前で結んで後ろへ周す。この方がお太鼓の大きさも鏡を見ながら出来るので楽だ。
渋い赤の帯のお太鼓の大きさを決める。
タレ先が無地なので太鼓のところはレースの模様をしっかり出しましょ。
帯揚を結び、最後に帯締を締める。
いつもは朝早くから着るから気合いが入って気持ちがいいけど。
もう夕方だ。ただ。今からが長いもんな。
昨晩(いや、今朝未明か)針で刺してしまった指の絆創膏。もう血は止まってるけど、万が一ということもある。そのままにしておこう。
そうだ。あれを忘れずに。
星野さんが書いてくれた荷札。
それをまた衿の併せの中に滑り込ませる。
お守りだからね。ちゃんと持っておかないと。
準備万端。コートを羽織り、草履を履いて玄関を出る。
さっむ。
ちょっともったいないけど。今日は特別だ。
タクシーを留めて行き先を告げた。
歩くと結構かかるのに。
タクシーは夜の東京の街を縫うように走り抜けてくれる。あっという間に目の前にNHKホールが見えてきた。
関係者入口の近くで降ろしてもらった。
今夜も割と慌ただしい裏側。
放送開始時間が迫っている事もあってスタッフが走り回っている。
何度か来てる事もあってスタッフさんと会釈するくらいは出来るようになった。
まぁ来年は来ませんけども。
控え室505のドアをノックする前に。
深呼吸をひとつ。
平常心。平常心。
コンコン。
「はーい。」
失礼します。おはようございます。
「かおるさん!おはようございます!」
いつも通りのホシノゲンさんが…いや、星野さんか。
がそこに満面の笑顔で迎えてくれた。
自然とわたしも笑顔になる。
「かおるさん。今日めちゃくちゃかっこいいですね!」
はい。かなり気合いが…入ってます。
そりゃね。あなたが選んだんですから。
ちょっと手は加えたけどそう言って貰わなきゃね。
「大日方さん。お疲れ様です。」
寺坂さんがいた事に気づいてなかった。
ちょっとびっくりしたけど…平常心。
寺坂さん。お疲れ様です。
「じゃ僕はこれで。」
「やっぱり行くのね…」
「はい。星野さん。本番袖から見てますね」
「はーい。」
バタン。ドアが閉まる。
少し沈黙。星野さんと寺坂さんの会話を聞きながら、衣装の入った風呂敷を最終確認。運ぶ順番に積み上げる。
「かおるさん…大丈夫?緊張してる?」
そう…ですね。してないと言ったら嘘になります。
でもこれがあるので。大丈夫。
胸元からあの荷札を出す。
人から見たらただの落書き。でもわたしにとっては無くてはならないお守り。
じゃ、わたしは皆さんの控え室に衣装を運んで行きますので。
「かおるさん!」
はい?
一つ目の(長岡さんの)風呂敷を持って早速控え室を出ようとする所を星野さんに呼び止められた。
スっと右手が出てきた。
「今夜は。よろしくお願いします。」
ふふっ。こちらこそよろしくお願いします。
ちゃんとゴールしますからね?
握手ね?絆創膏は気づきませんように。
星野さんの大きい手がわたしの手を包み込む。
あったかいなぁ。親指が手の甲をなぞってきた。
ダメだ。今は。
「今日は震えてないんですね。」
今日は。心強い味方がいますからね。
星野さん。あなたの事ですからね?
と思いながらニッコリと笑顔を向けた。
衣装を運んで行きますので、少し出たり入ったりしてしまいます。すみません。
「大丈夫です。もうすぐ紅白が始まりますから。
オレは最初から出るんで。」
星野さんが着てるスーツの襟をピッと持つ。
素敵です。星野さんは何でもお似合いですね。
「ふはは。ありがとう。」
では。また後で。
そう言って控え室を出た。
外で石田さんに会う。
「おはようございます。かおるさん。今日はお願いします。」
はい。こちらこそ。
ちょっと衣装を運び出しますので。出たり入ったりしてしまいますが。
「大丈夫です。お願いします。」
では。
石田さんが控え室に入っていった。
わたしは長岡さんの控え室に向けて歩く。
着物一式二着分って。結構重たいのよね…
幸い長岡さん控え室は星野さんのと同じフロアだ。
控え室515 長岡亮介様
コンコン。
「はーい」
失礼します。
「わ。かおるさんじゃーん。」
おはようございます。
「はい。よろしくお願いします。」
早速ですが、後でまた着付けしに来るまでにこちらを着といて下さいね?
衿なしシャツとステテコと足袋を渡しておく。
ではまた後で着ます。
よろしくお願いします。
「はーい。かおるさん。指の絆創膏どしたの?」
え?あぁ。ちょっと。ヘマしました。
「ふーん。大丈夫?」
大丈夫です。もう血は止まってます。念の為にしてるだけですから。
「そっか。」
ご心配ありがとうございます。
じゃ、また後で来ますね。
「はーい。」
相変わらず長岡さんは目ざとい。まぁ絆創膏3枚は確かに目立つわな。
けど別に嘘を付いたわけでもないし。
とりあえずまた505号室に戻ってどんどん運ばなきゃ。
次の衣装の風呂敷を取りに入った時は星野さんはいなかった。
代わりに控え室のテレビが紅白歌合戦がちょうど始まるのをを映している。
控え室に1人なのと。タイミング良く始まった紅白歌合戦。さっきまでは薄らいでいた緊張感が高まってきた。
頬を2回勢いよく叩く。
しっかりしなきゃ。
日々の嫉み
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