妄想劇場 1

(こちらは完全に妄想の物語です。
実在の人物や関係者とは全く関わりありません。)



出会い



梅雨空の夕方6時過ぎ。
さっきから雨が降っている。
今日は降らないと天気予報士が言ってた言葉を信用して傘は持ってこなかった。
仕事がやっとひと段落したので今日はここまでと切り上げて、さぁ帰ろうと社屋の外に出た…ら。

ぽつ。
ポツポツ。

マジかよ。

降らないって!降水確率たったの30%って!
あんなに息巻いてた天気予報士なのに。

とりあえず走るか。

カバンを胸の前に抱え、書類がなるべく濡れないように足早に走った。

あー。無理だ。こりゃ本降りだ。
書類が濡れてしまう。
これ以上走ると明日の会議自体がダメになってしまう。

とりあえず角を曲がった。

あ。喫茶店発見!
雨が上がるまで…えっくし。

身体が濡れて寒い。
コーヒーで温まろう。

入ったことのない薄暗い玄関口の喫茶店。
ツタがすごい。入口のドアがどこなのかもう少しで分からなくなりそうなくらいツタが巻きついている。
雨足が強くなる中やっとドアを見つけた。

重たい。

カランカラーん。

やっとの思いで外開きの扉を開け、水浸しでごめんなさいと思いながら中に滑り込む。

「いらっしゃいませー」

カウンターの中からしっとりした声がふわっと飛んできた。

店の中は静かなジャズが流れており、ちらっと見渡すとお客さんは1人。
店の外のツタが中にもあるのかと見間違うくらい…薄暗い。
客席の上には古びたオレンジの小さなランプがぼんやりとした灯りを落としている。

雨の音が聞こえない。
時間が止まってしまったのかと思うくらいの異空間だ。

「風邪引きますよ。はい。」

少し湯気の出る暖かいおしぼりが差し出された。

あ。すみません。ありがとうございます。
急に降ってきたもんで…

当たり障りのないどこかで聞いたことのある言葉を発した。

「お好きなところにどうぞ?」

はい。返事をして一番近い窓際の席に腰を下ろし、書類の入ったカバンを隣に置いた。
あーあ。ぐちゃぐちゃ。
帰ったらやり直しかな…
そんなことを考えて深いため息が出てしまった。

「コーヒーでよかったかな?」

ゆらゆらとこれまた湯気の上がる、黒い液体がちょっと変わったコーヒーカップに入って差し出された。

あ、え。すみません。はい。
ありがとうございます。いただきます。

「ふふっ。」

あ。笑われた?
オドオドしすぎたか…まぁいいや。
とりあえず身体を温めたい。
黒い液体を口にした。

あたっかーい。生き返る…

「ふふっ。」

あれ。また笑われた?
てか、心の声出てた??
…その前に。誰の笑い声?

マスターらしき人はコーヒーを持ってきてくれたあとカウンターに戻り、そこから更に奥へ下がって行って今は姿が見えない。

もう1人。いた。
重たい扉をくぐり抜けてから見渡した時に視界の端っこに影だけチラッと映った人影。
お客さんが1人。

マスターがカウンターに戻ってきていた。
その男性は常連なのか、マスターが戻って来てすぐ少し談笑していた。
背中しか見えない。黒いパーカー。
黒いリュックかな?が隣にデンと置いてある。テーブル席の向かいにはギターケースらしき黒いのが一人分の席を埋めていた。
黒づくめだな…

またひと口コーヒーを口に含んだ。

にがっ。

最初のひと口はとにかく冷えた身体に、口に入れたくて味なんて気にせず温度だけを味わった。

ブラックは苦手だったことを思い出す。
テーブルの脇に手を伸ばして砂糖を少し入れてみる。混ぜてから白いミルクを垂らす。
ぐるぐる回ってまるでCMみたい。
ちょっと嬉しくなって口元が緩んでいたことに気づかなかった。

目線。
誰かに見られてる気がして顔をあげると。

かち。

あ。目が合った。

背中しか見えてなかったはずなのに。
いつの間にか見られていた。
いや、背中を向けられてた訳じゃない。
その人が机に向かって斜めに座っていただけだ。
暗すぎんのよ。この店。

目が合ったまま…会釈した。

ぎこちない。

なんせ店の中には3人しかいない。
無下に視線を逸らす訳にもいかず、ちょっとだけ会釈。
口角を少しあげて。

どこかで見た顔のような気もする。
誰だろ。
こんな都会の真ん中で似たような顔がどれだけいると思ってんだ。
髪型、目の形、鼻の高さ。どれかが似てるだけで割と分類分けされてしまうものだ。
仕事柄人の顔を覚えるのは得意だが…名前が一致しないのよね。
とりあえずの会釈をし、目線を下に落としてまたコーヒーを飲む。

書類確認しなきゃ。
多少なりとも濡れてしまったんだ。
どれだけの被害をこうむったのか確認しておかなければ。

あ。この程度なら大丈夫だ。
生地サンプルも濡れてなかった。よかった。
商品説明のここだけもう一度印刷すれば…なんとかなる。
よかった。外の雨はまだ強い。
もう少しここで雨宿りしてからなら雨も弱まってくれるだろう。
それからでも大丈夫。
書類から顔をあげると。

あ。目が合った。

なかなかの厚みのあるメガネの奥の瞳は優しそうで。重たそうな前髪はクセが強くうねりまくっている。
こんな日は…嫌よね。くせっ毛。

今度は向こうが会釈してきた。
会釈と笑顔。
口角がキュッと上がっている。

やっぱりどこかで見た顔だ。
思い出せないけども。

「着物、珍しいですね」

ああ。そっか。
この格好で見られていたのか。

よく言われるんです。
珍しいねって。

「好きなんですね」

好きです。

この声もなんとなく聞き覚えがある。
誰だっけ。
ちょっとくぐもってて、バームクーヘンを食べた後口の中の水分全部持ってかれた後みたいな声。
思い出せない。
まぁいい。二度と会うことなんてないだろうから。

「お仕事で着られるんですか?」

え?あ。そうですね。
メーカーなんです。デザインとかしてて。

「へぇー。素敵ですね」

好きか嫌いかを聞かれたあとに仕事と言われたのは初めてだ。
大概「珍しい」「物好き」「変わってる」の三拍子だ。
好きだから=仕事と言い当てられたのでびっくりした。

「ボクも好きなこと仕事にしてるんで。
なんとなくわかります。」

そう言って向かいのギターケースを指さした。

音楽されてるんですね。
お互い…大変ですね。

なんで「大変」なのかはわからないがなんとなく出た言葉。
呉服業界は表向きは華やかだが、内情は厳しい。年々縮小していく市場。職人の廃業。
着物離れの進行。
伝統文化だし、民族衣装なので消えはしない。けども廃れさせたくはない。
音楽の業界が大変かどうかなんてさっぱりわからないが、そこは芸能界。華やかな事ばかりではないはずだ。

「まぁ楽じゃないですね」

そうでしょうね…

「雨やみませんね」

困りましたね。

関心があるのかないのか…よくわからない言葉のキャッチボール。

ぐー。

会話が途切れた瞬間に鳴った。
あー。そういやお昼食べてなかった。

余程大きい音だったのか、向かいのその人は一瞬目を大きくして…笑った。
笑うと目がなくなった。

恥ずかしいと思いながらもそんなことを思ってしまった。

「ここのオムライス美味しいんです。
良かったら一緒に食べませんか?」

オムライス…大好物の名前を提案されて…
腹の虫が先に反応した。

「正直ですね(笑)」

すみません…

「マスターオムライス2つね」

「はいよ」

やっぱり常連さんなんだな。
やり取りが自然だ。

「そっち。座ってもいいですか?」

こっち?あ、ええ。どうぞ。

「ありがとうございます。
1人で食べるのは慣れてるんですけどね。
せっかくなので」

せっかくなので…か。
まぁいいや。どうせなら美味しいオムライスを美味しいと言いながら食べる顔が目の前にあってもいい。

わたしもいつも1人なんで。

「嫌でした?」

いえ。大丈夫です。

少し冷めたコーヒーを飲む。
甘ったるい。砂糖入れすぎたな…

「ふふっ。」

あれ。また笑われた。

「表情豊かですね
何も言わなくても顔に全部出てる。
甘いんでしょ」

よく…言われるんです。
お前は顔に全部出過ぎもう少し隠せって。

「わかりやすくていいじゃないですか。
ボクの周りは表情がわからない人が多いから…なんだか安心します」

なんだ。新手のナンパなのか?
その割には表情が穏やかだ。まぁこんな格好してる分あまりナンパには縁が無いが。

安心する?なんでですか?

「なんだか…人と一緒にいるんだなぁって。
表情がないとマネキンと一緒にいるみたいに思えてしまって。」

そんな大変なんですね…
でもそんな人ばかりじゃないでしょ?

「もちろん。ちゃんとした友達もいますよ。
ただ、ボクが忙しいからなかなか会えなくて。」

そうなんですね…
ちょっと…可哀想かな?

「かな?ふふっ。」

好きなことを仕事にしてる以上は…
どんなに忙しくても文句は言えないし。
それだけ必要とされてるんだってわたしは思うようにしてます。

「その通りですよね。だからなるべく文句は言わない。言えるところでしか…例えばこことか。」

よく来るんですか?ここ。

「時間がある時はよく来ます。
マスターもわかってくれてるから必要以上の話はしないんだけど、たまにボクの話を聞いてくれます。」

そうなんですね…

「あなたもよく来るんですか?」

いえ。わたしはたまたま駆け込んだだけで。

「急に降り出しましたもんね」

そうなんですよ。あの天気予報士。
もうあの番組は見ません。

「ボクもその予報見ました。30%でしょ?」

そう!それ!

「はい。お待たせしました。」

当たり障りのない会話が少し弾んで来たところで出来たてのオムライスが2つ運ばれてきた。

美味しそう…

「ほんとに顔に出ますね」

そんなに出てますか?

「さ。食べましょ?」

ふわふわなタマゴにスプーンで切れ目を入れる。中から赤いケチャップライスが顔を出す。
ひと口口に運ぶ。

幸せー。

「ふははは。美味しそうに食べますね!」

笑われた。恥ずかしい。
けども美味しい。マジカルなオムライスだ。
外の雨も、濡れて重たい着物も、印刷し直さないといけない書類のことも忘れれるくらい美味しい。

「ね?美味しいでしょ?」

とニッコリ笑って目の前の瓶底メガネの男性がひと口食べた。

「うん。おいし。」

綺麗な食べ方だな…
そんなことを思いながら夢中になってオムライスを平らげた。

時々…目の前の顔を盗み見しながら。

「ごちそうさまでした。」

ごちそうさまでした。

2人してほぼ同時に手を合わす。
1人で食べてようと子供の頃に親から口酸っぱく言われた躾は抜けない。
この人もきっとちゃんと躾されたんだろうな。

「やっぱり1人で食べるより誰かと食べる方が美味しいですね」

そうですね。

「また…ここで会えたら。オムライス一緒に食べてもらえませんか?」

いいですよ。わたしもここのオムライスのファンになりました。
また来たいと思ってます。

「マスターよかったねぇ」

「ありがとうございます」

食後のコーヒーが運ばれてきた。
今度は砂糖の量を少なめにして、混ぜてからまたミルクを垂らす。

「ダバダー」

あ。同じこと思ってる。
面白いな…この人。

「ボクはブラックなんで…言いたかっただけです。」

同じこと思いましたよ?

「ふはっ!すごい」

そんな時電話がなる。
静かなジャズの流れる中電子音が鳴り響く。

「あ。すみません。ボクだ。」

席を立ち、電話にでた。

「あ。石田くん?うん。いつものところ。あと10分ね。わかった。」

お迎えの電話か。
そこそこ成功してる人なんだろうか。

「迎えがもう少ししたら来るんですが、送りましょうか?」

あ、いえ。それは申し訳ないです。

「ですよね。出会ったばかりの得体の知れない男にそんなことを言われてもね。」

そんなつもりじゃないんですよ?
お迎えが来るってことはこれからお仕事でしょ?
そんな申し訳ないことは出来ません。

「さすがですね。ありがとうございます。」

またここで会えて。雨が降っていたら。
その時はお願いしますね。

「わかりました。ボク、星野っていいます。
星野源」

ん?ホシノゲン?

わたしはこうゆうものです。

名刺を差し出す。
和柄の名刺に名前と社名と…個人の携帯番号まで載っている。
しまった。いつものクセで。

「素敵なお名前ですね。着物が似合う。」

ありがとうございます…

「じゃまた。いつか。ここで。
一緒にオムライス食べれてよかったです。
ありがとうございます」

ええ。こちらこそ。
楽しかったです。

「気をつけて帰ってくださいね」

そう言って彼は座っていた席に戻り、黒いリュックを背負い、マスクを付け、ギターケースをさらに背負って、マスターにひと声かけて重たいドアを開けて雨の中へと出ていった。

マスター。わたしまたオムライス食べに来てもいいですか?

「はい。お待ちしてますよ」

ありがとう。
さっきのあの人は…よく来るんですか?

「そうですね…多くて月に2回くらいですかね…
大体火曜日が多いかな?」

火曜日…何かあるんですかね?

「この近くで仕事があるみたいですよ?
仕事前にここでオムライス、食べて行かれます。
今日は珍しく…私以外の人に話しかけてたから驚きました。」

いつもは違うんですか…?

「いつもお一人ですからね。あまり話しかけたりするお方じゃないですよ。」

よっぽど…この格好が目に付いたんでしょうね…

「また会えるといいですね」

そう言ってマスターは綺麗に食べられたオムライスのお皿を2枚下げて行った。

外はまだ雨。
恵みの雨だろうか?
ホシノゲン…どこで聞いた名前だろ。
忙しいと言っていた彼に負けずとも劣らない忙しさのわたし。
職場と家の往復だし、テレビはほとんど見ない。

まぁ、いい。
次会えたら。何の仕事をしてるのか聞いてみよう。

マスター。もう少しいてもいいですか?

マスターはカウンターの奥から軽く頷いてくれた。

もう少し。外の世界から、日々の喧騒から隔離されたこの空間にいたい。
コーヒーをまたひと口飲んだ。

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